ふと、気がついた事がある。(ʘᗩʘ’)💡
俺が音楽コラムを書き始めたのは何がキッカケか…
その原点となったものが分かった!( ̄ー ̄)💡
それは、30数年前の高校時代の連れ、Sの結婚式の前夜にあった。俺がまだ29歳の時だった。
Sの家で結婚式の前夜に皆、一同に介してS独身最後の夜🌃として飲み明かした🍺🍶🥃…
そして突然に、結婚式の余興と、二次会の司会と余興を頼まれたのだ。
式の前夜にでね…(・o・;)
俺はどうしたものか…(-ω- ?)と考えた。歌を歌うのでは芸が無さすぎる…(/\)
「そや!💡Sのアホすぎるエピソードを二次会で披露してみよう!」というアイデアを思い付いたのだ!💡
オープニング~エンディングまでのBGM♬は前から頼まれていた。要は、音楽とオモロイ話のコラボだ。その飲みの場で次々とSのアホな話は適当に盛って作ったのだ。
例えば、「Sの初体験は何処だと思いますか?さすがはディスコ好きのSらしく初体験も踊り場でした。マンションの非常階段の…😆」そんな話だった。必ず何らかのオチが付く話だった。確か、10個くらいのエピソードを作ったと思う。
結婚式の会場は当時、人気のあった宝塚ホテルだった。式の司会は、Sの先輩のM氏が務めていたのだけど、初めての経験だったのか、ボソボソと抑揚のない語り口で、とにかく堅く、ひたすら暗かった。🤢
これは何とか盛り上げねば…🤔
そんな思いもあり、当時よくやっていたキャンバスに、二人に青と黄色の絵の具で、それぞれ好きな文字か、マークをキャンバスに書いてもらい、最後に余った赤色の絵の具でキャンバスにハート♥を書いて、それの2つのキャンバスを擦り合わせて謎の模様にする…という芸だった。
出席者一同、『何?何??』という感じだった事を覚えている。
そしていよいよフィナーレを迎えた。
新郎Sの挨拶が始まった。
その時に使ったBGMが、この安全地帯の”悲しみにさよなら” だった。
この曲だけがSのリクエストだったのだ。
イントロが始まり、Sは語り始めた。
この曲はサビの部分がいきなり頭にくるんで、おそらくSはその時点で既に感極まっていたのだ。
「僕は今、29歳です…もうすぐ30です…ダ〰️(と泣く(ToT)」みたいな…「何じゃそれ⁉️🤣猪木か!🙋」
しかし自分で選んだ曲🎶「♪泣かないでひっとりでぇ~♪」って…独りで号泣しとるやんけ‼️(ʘᗩʘ’)
まあ〜でも良い結婚式👰🤵だった。
Y夫の水色のワーゲンカブリオレの後ろのバンパーに空き缶を沢山ぶら下げてガラガラとけたたましい音を発てながら、俺たちの輪から消えて行った。
そしてミナミで行われた二次会で、司会をやりながら、オイラが作ったSのエピソードを披露し、見事にウケた!🤣🤣👏👏
本人もすでに昨夜聞いてるのに、またゲラゲラ笑ってたし。
音楽とオモロイ話の融合”笑🤣Must Go On❕”は、それが原点になっているのだ。
ーPSー
ただ、残念なことに、式のオープニングを見ていないのだ。なぜなら酒酔いと、その時のネタ作りと、二次会の司会の段取り表を作るのに朝までかかり、寝過ごして式場まで車で飛ばしたけど、すでにケーキカットも終わっていたのだ。(*ノω・*)テヘ!
結婚式やその2次会のスピーチを頼まれて困ることは、新郎の仲間にはおもしろエピソードでも、新婦側がその事実を知らなかったり、冗談を真に受けたりしてしまうことだ。
会場では笑顔を絶やさない新婦も二人きりになってからは豹変しないとも限らない。
そんな時新郎は心の中にサザンオールスターズの「シュラバラバンバ」を流しながら、「悲しみよこんにちは」を歌うしかない。
成田離婚なんて言葉は、そんなことから発生したかもしれませんね。
バランス感覚の優れたSaichinなら、そのへんをギリギリで回避して、笑いに持っていったのだと思いますが。
私の場合は月並みに歌でも歌うか、嘘も交えながら、ひたすら新郎を褒めあげるスピーチしかできませんが。
私の成田離婚の見解は、初めて一緒に海外に旅行し、男の、あまりの不甲斐なさ(英語を全く話せない等)や、一緒に旅して解った、旦那のあまりのルーズさ、頼りなさに辟易して女性から離婚を申しつけられること。だと思っています。
もっぱらオイラの司会やスピーチは、新婦側には受けず、野卑な男どもには大ウケしましたが…
なので、新婦のお友達をゲット!したことは、ほとんどありません(笑)