今日の1曲🎶❝親父のメール❞🎙ケツメイシ&はるばらぱれ🎙Mr.粗品

作詞:ケツメイシ 作曲:ケツメイシ/成瀬祐介(onetrap)
. 作詞・作曲:粗品 編曲:Syudou
❝今後は、はるばらぱれ❞が父の日ソング🎶の定番になるね

親父が亡くなっては早、5年になる。親父は優秀な男だった。宮城県白石市に生まれ、家業は八百屋。7人家族の次男。それこそ二宮尊徳状態で自力で勉強し、東北大学を首席で卒業し、陸軍士官学校に入り、戦闘機に乗って、シベリアに抑留され、三菱電機で風力発電、魚群探知機、オートメーション不良品探知機などの、発明、設計に携わり部長になった。典型的な理系だった。柔道黒帯、剣道初段、四輪&二輪免許、飛行機の操縦免許と、おまけにスキーも出来る、完璧な男だった。それに比べ、おいらの軟派な事ったらありゃしない!(*ノω・*)テヘ!だから、親父とおいらは交わることはなかった。親父にとったらおいらなんて、情けない息子だったと思う。

若い頃は、会話なんてほとんど交わしたことはなかった。でも、一度だけ小料理屋で日本酒🍶を飲み交わした事があった。俺が船橋西武のレコード売り場に赴任し、その時に親父が東京出張のついでに、船橋まで足を伸ばして俺に会いに来てくれたのだ。この頃はまだ、学生気分が抜けていなかったが、初めて親父とサシ飲み🍶をした。別れ際に『頑張れ!』と言って肩を、叩いてくれたことと10万円入った封筒を渡された事を今も忘れない。

俺が本当に困った時は、何も言わずに助けてくれた。決して寡黙な親父ではなく、女性も好きだった。😁俺が50歳を過ぎた頃は、毎年正月には酒を呑み交わした。一緒にお婆ちゃんの葬式に場所を間違えて遅刻した事や、姪の結婚式に二人で行って色々と喋ったこと。俺は、自分でも驚いたけど、親父とは普段は全く言葉を交わさなかっただが、いざそういう状況になると俺は多弁になったし、親父もちゃんと返してくれた。

親父とおかんが、ニューヨークに行った時、親父はおかんに「佳和に時計でも買ってあげたら?貴方は1度も佳和に何かを買ってあげたことがないんだから…」と、言われたらしく俺は、ROLEXのサブマリーナを貰った。俺は嬉しかった!(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)一生の宝物✨になった。(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)

『父の日』には毎年、親父の好きな阪急百貨店の『鰻萬』の鰻弁当を買ってきた。贈り物をしても決して「ありがとう!」と、言わなかった。でも、亡くなる一年前の『父の日』に、親父に鰻弁当を渡した時に初めて「ありがとう!」と言われた。俺はびっくらこいた!😮めちゃめちゃプライドの高い親父が俺に「ありがとう!」なんて言うなんて…༼⁠⁰⁠o⁠⁰⁠;⁠༽最初で最後の「ありがとう」だった。

そんな親父も5年前に亡くなり、おふくろも昨年亡くなり、ボッチになったおいらだけど、なんか親父がちゃんとおいらを見守ってくれてるような気がする。親父の遺品整理をしていた時に、机の奥から一通の手紙が出てきた。

『佳和とは、あまり仲良くは出来なかったが、あいつには友達が多く、社交的だから自分らしさを失わず生きてゆけ』こんな文章だった。”親父からメール“ではなく手紙だけど、おいらはその短い手紙を読んで泣けた…(TT) ちゃんと俺のこと、わかってるやん!それが遺言となった。俺にそんな小っ恥ずかしい事を直接言える訳ないわな!😁

『親父!俺は立派過ぎる親父に反抗してただけなんよ。絶対に勝てないから…はっきり言って軍人で、怖かったから避けてただけなんや。

でも、顔つきも、ちょっと頑固な性格もやっぱ似てくるんやな(笑)俺は親父の血を受け継いだ事を誇りに思ってるから喜んでくれ!(*ノω・*)テヘ!』

それと、親父に似てたから女の子によくモテた!🤠おかんもベッピンやったしな!俺は、親父とおふくろの子供でホンマに幸せやった!』辛い思いも、恥ずかしい思いも一度もしたことなかった。親父にもおふくろにも「ありがとう!」も言わせてもらえず、他界してもたけど、今改めて言わせてもらうわ』『おとん!ありがとう!m(_ _)m』『おかん、ありがとう!🥲』

この賢そうな男の子👦は誰や??

とても好きなCMがある。それがコレ!👇

いいCMだわ(⁠*⁠˘⁠︶⁠˘⁠*⁠)⁠.⁠。⁠*⁠♡

『父と息子なんてのは、言葉数が少なくてもいいんだよ。心の中に秘めた気持ちがあれば…』

作詞・作曲:大橋卓弥 編曲:大橋卓弥&Drunk Monkeys

ファーザーズ・デイ🧔の今日は、お供えにバナナ🍌を3本買ってこよう(⁠*⁠˘⁠︶⁠˘⁠*⁠)⁠.⁠。⁠*⁠♡

―PS―

粗品さん!コレ観て感動した(TT)貴方は、”才能の塊”です。
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2件のコメント

お父さん、Saichinによく似ていますね。私も若い頃は父親とはほとんど会話を交わした記憶はありません。
戦前生まれの父親はたいていそんな感じなのではないでしょうか?
それでも亡くなる前の5年くらいは、結構喋るようになりました。
Saichinのように孝行息子ではないので、「ありがとう」と言われたことはありません。
最近、暗がりで鏡を見たりする時、鏡に父親が写っているみたいで、ドキッとすることがあります。
父親とは距離がある方が敬意を感じられて良いのではと思います。
息子とは会えば、友達のように喋ってしまうので、敬意は全く払ってもらえません。時代のせいかどうかはわかりませんが。

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