今日の1曲🎶❝限りなき夏❞🎙️滝沢洋一 貴方は、滝沢洋一を知ってますか?🤠凄い!ミュージシャンだったんです…

作詞:滝沢洋一/山川啓介 作曲:滝沢洋一 編曲:徳武弘文

❝奇跡的に集まったレジェンド級のミュージシャンたち❞✨️

1950年生まれの滝沢洋一は、高校時代からシンガーソングライターを目指して作曲活動を開始し、1974年に24歳でRCAと契約して作曲家デビュー✨️!RCAはこの手のミュージシャンが好きやね。AOR系のSSW。

その後、YMOの“生みの親”である作曲家・村井邦彦の経営する音楽出版社アルファ・ミュージックと契約し、1977年にはハイ・ファイ・セットに❝メモランダム❞ 1978年にはサーカスへ❝アムール❞を提供した。

作詞:なかにし礼 作曲:滝沢洋一 編曲:佐藤博
なかにし礼先生は、女心がよく解っていらっしゃる(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)
作詞:竜真知子 作曲:滝沢洋一 編曲:前田憲男
イントロが、杉山清貴&オメガトライブの❝君のハートはマリンブルー❞に、似ているね(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)
作詞:康珍化 作曲・編曲:林哲司

しかし、その後はヒット曲に恵まれず、ここ数年の世界的シティポップムーブメントが訪れるまでは知る人ぞ知る“”の存在だった。

滝沢は2006年4月20日、持病の肝炎により56歳の若さで亡くなっている。しかし滝沢は、1976年当時に暮らしていた学生寮の後輩から紹介されたミュージシャンを、自身のバックバンドマジカル・シティーに誘ったことで、のちの世界的シティポップムーブメントにおける大きな偉業を成し遂げることになる。そのバックバンドのメンバーとは、以下のような顔ぶれである。

<滝沢洋一とマジカル・シティー>

ヴォーカル:滝沢洋一(25歳)

キーボード:新川博(20歳)

ドラム:青山純(18歳)

ギター:牧野元昭(19歳)

ベース:伊藤広規(21歳)

※年齢は76年1月の結成当時

青山純ってこんな🖕事をする人やったんやね

ドラムの青山純、ベースの伊藤広規のふたりは、バンドが自然消滅したあとの1979年に山下達郎バンドへ加入し、山下の出世作RIDE ON TIME(1980年)のサウンド作りに貢献することになる。 

そして、青山純伊藤広規が山下の“黄金リズム隊”になったことで生まれたのが、あのシティポップを代表するアルバムFOR YOU(1982年)だった。

つまり、達郎のFOR YOUで❝MUSIC BOOK❞を除く全曲で演奏した“黄金の❇️のリズム隊”のふたりは、滝沢のバックバンドをキャリアのスタートとして音楽活動を開始していたのである。

牧野元昭は、ギタリスト、音楽監督。1986年渡米、バークリー音楽大学を卒業後、1989年よりイリノイ州シカゴに移住。在米中、Moto Makino名で活動。Sugar Blue Bandに14年在籍。

新川博は、5歳からピアノを始め、中学生の時にはCharとバンドを組んでいた。日本大学芸術学部在学中から、松任谷由実やハイ・ファイ・セットのツアーに音楽監督およびキーボードプレイヤーとして参加し、ステージアレンジも担当。1983年からは本格的にレコーディングアレンジャーとして活動を開始しました。 今年の1月に残念ながら他界されました。

2010年代後半頃よりネット発のブームとして起きた、日本の1970年代後半から80年代にかけて発表された都会やリゾートをイメージさせるソウルフルで洗練された音楽“シティポップ”の世界的ムーブメント。

このブームは現在、その流れを受けたジャパニーズ・フュージョンブーム(近々、特集します)に移行したことで落ち着きを見せつつあるが、それでもシティポップを代表するアーティストである杏里松原みき、山下達郎、竹内まりや大貫妙子、角松敏生などによる楽曲は、音楽の世界でひとつのジャンルを確立し、すでにスタンダード化したと言っても過言ではないだろう。しかし、そんな世界的ブームの陰で、シティポップ黎明期の70年代半ばから90年代初頭までのあいだに、シティポップを世界的なブームに押し上げる大きなキッカケを作ったひとりの人物が存在していたことをご存じだろうか。それが、“幻のシンガーソングライター”とも言われる作曲家・滝沢洋一なのだ。

作詞:滝沢洋一/山川啓介 作曲:滝沢洋一 編曲:徳武弘文
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