今日の1曲🎶🌟Energy Flow🌟🎹坂本 龍一

この動画で泣いてしまった…悲しすぎる

坂本龍一氏は、3歳からピアノを始め、小学2年の時にバッハの音楽に傾倒した。東京芸術大作曲科を経て、78年に高橋幸宏、細野晴臣YMOを結成。79年に当時斬新なシンセサイザーを使った音楽が海外で受け、世界ツアーを2度成功させた。国内では竹の子族がヒット曲”ライディーン“を踊るなど、社会現象になった。

俳優としても活躍し、83年公開の映画『戦場のメリークリスマス』では、英🇬🇧ロック歌手のデビッド・ボウイ(16年死去、享年69)と共演。男性同士のキスシーンも熱演し、話題となった。

劇中音楽を手掛け、出演もしたアメリカ🇺🇸映画『ラストエンペラー』(87年公開)では88年の米🇺🇸アカデミー作曲賞🏆を日本人で初めて受賞した。同作では米🇺🇸音楽界最高の栄誉とされるグラミー賞🏆も獲得。米エンタメ界2大タイトルを初めて受賞した日本人となった。

理知的で”教授“のニックネームでも親しまれた。興味こそ原動力で、既成の価値観にとらわれず、やりたいと思ったことに全力で取り組んできた坂本さん。最後まで文芸誌「新潮」での連載で音楽観や死生観を語るなど、敬愛するバッハのように情熱は尽きることがなかった。

14年に中咽頭がんと診断され、治療の末に寛解。だが、直腸がんと診断された20年6月には、治療しなければ「余命半年」と告げられた。手術では、最初にがんが発生した原発巣と肝臓2カ所、転移したリンパの腫瘍、さらに大腸を30センチも切除。両肺に転移したがんを摘出するなど、1年で6回の手術を受けた。その後は通院して投薬治療を続けてきた。令和5年1月11日に高橋幸宏氏が亡くなり、そして今度は坂本龍一氏も…

CMに出演していたので、癌は完治したものと思っていた。癌が憎い!そして死はもう他人事てはない。

俺は坂本龍一氏の音楽性よりも、その佇まいや物腰の柔らかさ、ルックス、ヘアスタイル、ファッション…坂本龍一という存在が好きだった。彼はTV番組で語った東京芸大の入試問題『ブラームスの交響曲の譜面の中から間違っている箇所を訂正せよ!』という問題を解いた話で、やはりこの人は『天才✨』だと思った。

俺はWAVEのマネージャーを務めていたときに、坂本龍一氏のコンベンションに参加した。その時の彼が放つオーラ✨に圧倒!された。彼はコンベンションに参加した一人一人と握手を交わし、その時の彼が握ってくれた手がとても力強かった事をおぼえている。「教授!痛いすよ!😮‍💨」と、思わず叫んでしまいそうな位だった。俺はそんな彼のファンや音楽関係者に対する真剣な姿勢と、世界的スーパースターなのに「ファンです!(⁠☆⁠▽⁠☆⁠)」と、伝えた時にとても人懐っこい笑顔で応えてくれて、さらに俺は心を奪われてしまった。要は惚れたのだ。そんな坂本龍一氏が亡くなったなんて…

『芸術は長く 人生は短し…』 by 坂本 龍一

5件のコメント

1979年「ソリッド・ステート・サバイバー」発売直後のYMOのコンサートを観たのが、坂本龍一を生で見た最初で最後の体験です。
高橋幸宏のこともあるので、この時、コンサートに行っていて本当に良かったと思っています。
ただし、坂本龍一の凄さがわかったのは、それから10年以上あとの1991年に、映画「シェルタリング・スカイ」で、大画面で広大な砂漠の風景を見ながら、彼の壮大なオーケストラでの音楽を聴いてからでした。
映画自体は難解で、フェイヴァリット作品とは言えませんが、ともかく延々と続く砂漠の画面とスケールの大きい彼の音楽に圧倒されました。
さっき久しぶりに坂本龍一のピアノだけの「シェルタリング・スカイ」を聴きましたが、その物悲しい音楽が彼自身の奏でるレクイエムに聴こえてなりませんでした。
R.I.P

自分に捧げるレクイエムか…坂本龍一氏の音楽は難解でポップスではないからね。
energy flow『ウラBTTB』という意味が解らなかった。

湯山玲子さんは坂本龍一とそういう関係だとは知りませんでした。
さぞかし悲しみに暮れられてる事でしょう。
流石の追悼のコラムでした。
坂本龍一は確かに、高橋幸宏の影響でファッションに気を遣うようになったんでしょう。
俺も坂本龍一のファッションに注目していて、あの教授らしいメガネは『ジャックデュラン』というフランスのブランドで、スパイク・リーも愛用しています。
スーツにスニーカー、コートにスニーカーといういで立ちが多く、New Balanceを愛用してますね。スーツはKENZOブランドを愛用してたと思います。
やはり、ドビューシーの生まれ変わりの教授…フランスのブランドがお気に入りみたいです。
本人は何故か「自分にはラテンの血が入ってる」と言ってますが(笑)フランスとイタリアと日本のハイブリッドなんですかね?(笑)

リロボーイさん
湯山玲子さんの追悼文、興味深く読ませていただきました。
YMOで坂本龍一をちゃんと認識した者としては、彼はオシャレでハイソな人間というイメージを持ってましたが、どうやら、それだけではないと、後に知ることになりました。
高橋ユキヒロと出逢う前は、そんなに身なりにも構わない、バンカラな人物だったようです。
新宿高校時代は全共闘にも参加していたようですし、元々社会にも関心を持っていたタイプだったんですね。
村上龍との交友関係もそんなところに原点があったのかもと思いました。
高尚過ぎて、敬遠していた部分もありますが、これからは彼の作品に向き合っていきたいと感じています。

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