今日の1曲🎶🌟♡全力少年🌟🎙スキマスイッチ

★最強な人(Almighty Person)

《前編》

これは俺が前から思ってる事で、「絶対にそうだ!」って確信!してる事をお話したい。

『強い人』ってどんな人か…
何を持って強いのか…それは色々とある。
偏に(ひとえ)に『強い!』と言っても、喧嘩だったり、運だったり、忍耐だったり、逆境だったり、逆にチャンスだったり、語学だったり、数字だったり…等色々とある。

俺の言いたいことはそういうパート・パートだけの事ではなく、例えば人としてみんなに好意を持たれたり、尊敬されたりするその人が持っている特有な『人間力』みたいなものなのだ。なので敢えて『Almighty~全方位型』としている。
「人に好かれる力」「その人の素の魅力」と言ってもいいかも知れない。
人気で言えば、小学生~大人の過程でその求められる資質は変わってくる。


俺の場合、小学生の時は「頭の良い奴、運動神経の良い奴」だった。
もちろん「顔の良さ」なんかもあった。
俺は特に人より抜きん出て頭が良くも、運動神経が抜群でもなかった。顔は悪くはないかな?という程度だ。

俺は小学生3年で、転校した時に感じた事は、既に学年やクラスでの人の序列(カースト制度まではいかない)が出来ていて途中からその序列の上位に割って入るのは難しいな…と感じたのだ。
「頭のいい奴と足が速い奴と喧嘩の強い奴」そういうタイプの奴が人気があった。
あとは「金持ち」だ。
小学生の俺には戦略なんてなかったし、普通に学校生活を楽しんでいた。
ただ、小3での転校はクラスで浮くリスクはあった。
俺は当時は、モノマネと人のあだ名を付けるのが得意で、「斎藤はおもろいヤツ!」というお札を頂いて、そこそこ人気は得ていた。

小5の時、担任がホームルームで「好きな人の名前を書きなさい」と、なんの意図があってそんな事をさせたのか解らなかったが、俺にそこそこ票が集まり、担任に「なんでお前が人気がそんなにあるんや?」と、問われた事があった。「そんな事知るか!( ᐛ )シルカ」つう話しだった。
6年生の時に、人生初のヴァレンタインチョコ🍫❤️も貰ったし、小学生の時の自分のアイデンティティは守られた。

中学になると、垂水区から灘区に転校になって、
俺は1年の2学期にまたまた謎の転校生になってしまった。
気を遣う人生ばっかだ┐(´д`)┌ヤレヤレ

中学の時の人気のバロメーターは、、小学生の時と同様、「成績の良い奴」「運動の出来る奴」「顔の良い奴」だった。「金持ち」の要素は排除された。
俺は飛び抜けて頭が良かった訳でも運動が出来るタイプではなかった。成績は45人中上から2桁程度だった。それでも毎学期、何らかの委員に投票で選出された。図書委員、管理委員、保健委員だ。保健委員は最悪だった!検便を回収したりさせられた。
運動の方は「体育の授業は控えなさい」と担任に、みんなの前で言われたのだ。そしてオレが知られたくなかった『施設』に入っていた事も。更には喘息なのに「結核だった!」というデマまで言いやがった。あの、田中の野郎!( -᷅”-᷄ )
確かに俺は、小学生の時に喘息で施設に1年入っていてスポーツは禁じられていたし、体育の授業は受けたくても受けられなかった。小三から小六までは完全に見学していたのだ。運動会のリレーや騎馬戦に出たかった。

それでも多くの男女の友だちがいた。
俺の枠は、そこそこの学力と、モノマネとあだ名名人で地位を確保していた。
おもろい話もこの頃から出来るようになっていた。

複数の女の子にラブレターも何通か貰ったけど、俺はスポーツが出来ない事に強いコンプレックスを抱いていた。
それも小児喘息のせいだった。


3年の秋に摩耶山で5kmのマラソン大会が開催される事になった。
学年で男120人以上が参加するものだ。俺はその時に賭けた!「喘息が再発してもええわ!」
「斎藤君は運動は出来ない」という負のレッテルをどうしても剥がしたかったのだ。
俺は親に内緒で、担任も制止しなかったので出場した。
みんなは「エッ!?斎藤が走るんやって⁉️」と、好奇の目で見られていたと思う。
こんなコンプレックス抱えてるくらいなら「死んだ方がマシや!」と思って俺は大袈裟やけど生命を賭ける思いで、マラソンに出場したのだ。
俺はケツがつっていたけど死に物狂いで走った!沿道からクラスメートの女子から「斎藤君頑張ってー‼️」という初めて声援を受けて俺は激走した。🎦『小さな恋のメロディー』のマーク・レスターが運動会で激走!を見せるシーンのように…

試合に勝つには強いメンタルが必要!と言うのはよく解るし、強いメンタルを生み出すモチベーションも必要だろう。俺は自分の名誉のために激走!したのと、好きなBさん俺が強いところを見せたい!というモチベーションもあったのだ。Bさん「斎藤君!頑張れ〰️‼️ꉂꉂ📣」なんて叫ばれたらあと4人は抜いていただろう。

https://youtube.com/watch?v=CMY-TYebIdc&feature=shares

去年まで10位までは、朝礼で名前を呼ばれて賞状を貰えていたけど、その年から入賞の6位までしか賞状は貰えないようになった。
悔しかった‼️全校生徒に「斎藤はは速い!」というアピールが出来たのに…( ´•̥ו̥` )クヤシイ

その時の体育委員はMさんという勝気なバレー部の女のコが倒れ込む俺を「斎藤君10位よ!凄いやん!」と言って抱きかかえてくれた事は今でも忘れない。
6年間、スポーツらしいスポーツが出来なかった俺がクラスで1位なんて信じられなかった。
「死に物狂いで走ってよかった!こんな達成感✨が得られるなんて…最高やん!」と思った。

しかし、振り返れば上筒井小学校の1年の時の運動会で『スウェーデンリレー(1年から6年まで1組なら各学年の1組のランナーが順に走るリレー)』で、1位で2年にバトンを渡し優勝した1組の先輩達が(小学生で先輩って(°▽°))駆け寄ってきて褒めてくれた事があったし、俺は潜在的に足は速かったのだと思う。

そのバレー部のMさんとは付き合いこそしなかったけど、その後ボーリングに一緒に行ったりしてとても仲良くなった。その日、俺はニチイで買った新品のCANTONのべルボトムジーンズを穿いて行ったのを覚えている。Mさんは赤のミニスカートだった💕
「コレが激走のご褒美かぁ~⸜(*ˊᗜˋ*)⸝」

この出来事が、俺の14歳で2度目の人生のターニングポイントだった。「死に物狂いでやれば何でも克服出来る‼️」大きな壁を乗り越え、俺は覚醒したのだ。

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5件のコメント

意外な過去ですね。
私の知っている中で「1番人に好かれてる」人が、全力少年だったとは!
でも、全力出さなくても好かれていたので、また、別の要素があると思います。
「好かれる人」というのは、「親から全力で愛されていた人」だと考えています。
そういう人は何事にも肯定的で、劣等感がなく、自己評価が高いので、それが人を更に惹きつけるんだと思います。
その上、見えないところで、全力で頑張っているとしたら、まさに最強ですね。

BobbyOregonさんも愛されていたと思いますよ。
俺はしょうもない事ばっかりして、親父には嫌われていましたから(笑)
BobbyOregonさんに、俺の言いたいことを先に言われてしまったみたいです(笑)

それはどうも。m(_ _)mそう言って貰えてありがたいです。
昔は、一生懸命!というのは「カッコ悪いこと」やと思ってたけど、大間違いでした!
「一生懸命!」だとか「真面目にやる!」と言う事のカッコ良さが解るようになりました。
なので、コラムも毎日全力投球!です。(o^∇^o)

私は母親との関係が険悪だったので、性格がひねくれて育ちました。
親から愛されれいた子どもは「巨人・大鵬・玉子焼」が好きになります。
私が好きだったのは「中日・柏戸・ゆで玉子」だったので、周りにはひねくれた少数の奴しか、寄って来ませんでした。
少年時代はそれがかっこいいと思っていましたが、子どもができてからは、考えが180°変わりました。
ただ何事も一所懸命というのは難しいですね。
毎日素晴らしい文章を掲載続けるSaichinには敬服しています!

君は頭脳明晰ぽいしね。
君はおふくろさんと仲が良くなかったのは、お兄さんでもいたのでは?大体長男に愛情を持っていかれるバターンが多いように思いますな。
お兄さんと年が離れているとか?
俺は世代的には「巨人・大鵬・玉子焼き」世代だけど、実際は「巨人 猪木 お好み焼き」ですな。
マイノリティーの方が世にはばかるのではないでしょうか。

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