今日の1曲🎶🌟涙のテディ・ボーイ🌟🎙キャロル

作詞&作曲:矢沢 永吉

コレが春🌸の曲かどうかも、春に別れた恋もあった。好きだった彼女との卒業での別れ…片思いの恋…散る桜が涙で濡れた頬に咲いた事もあった…😁

このレコードが発売されたのは1974年の3月だった。高校を卒業して18歳になって、車の免許を取りに西宮自動車学校に通っていた頃だった。1975年の梅雨時だった。当時、よく遊んでいた関学のキーやんという連れと一緒に通った。キーやんは器用な男で、何もかも一発!で各段階の見極め検定をパスしていて、俺より先に仮免もパスしていた。少し遅れをとっていた俺はちょっと焦っていた(⁠;⁠ŏ⁠﹏⁠ŏ⁠)“If You Go Away…(⁠ᗒ⁠ᗩ⁠ᗕ⁠)”

とにかくキャロル🎸を、カーステでガンガン流しながら車で疾走したい🚘一心!で、大学に通いながら自動車学校にも通っていた。俺は、1日に乗れるだけ乗って実技のハンコを貯めるのに必死だった。「もう1時間乗りたいんですけど空いてる車ありますか?」と、お代わりを申し出ると、いつも空いてるのは車番32番の怖い教官の車しか空いていない。なかなかA評価をくれない教官で有名で、皆避けていた。でも、俺は倍速で実技を消化していたので怖かろうが、誰でも良かった。案の定B評価を食らうことにはなったが、厳しいおかげで細部まで安全確認をするクセがついて、仮免は2度目で無事通った。

1度目は不運なことに、スタート地点戻ってきたときに教官が、横断歩道を渡ろうとしている生徒を手で「早く渡りなさい」の手の👋仕草を「もっと幅寄せしなさい」と勘違いし、歩道の縁石に乗り上げた。「紛らわしいねん!🤬」っと、毒づいたのが悪かったのか…🥵 それと、最後の最後に運転席のロックをしてないのに気付いて、コソッと肘でロックしたときに「コン!」と、そこそこの音がして教官に「ロックしてなかったんか⁉️🧑‍✈️」と、言われ、それが最後に減点となって落ちてしまったのだ。「大きく咳でもしてロックボタンの音を消せば良かった!と後悔した…つうか、バレてなかったのに要らん事をした😮‍💨アレがなければ一発!で、通っていたハズだ。

ホントに俺はツイてない…😮‍💨”涙のツイてね〜ボーイ”だ。

その後、路上教習に出たときに、少し日焼けしたスレンダーな女性教官にたまたまあたり、とても優しくて必ず、その日の評価はAをくれた。教習中はいつも雑談してよく褒めてくれたのでお気に入りの教官だった。よく知らない女性👩とのドライブっぽくて楽しい時間だった。なので路上教習はいつも女性👩教官を指名した。彼女は俺の事も気に入ってくれていたのだ。武庫川の河川敷で車を停めて、教官との情事ハリスンを想像したりして独りでほくそ笑んでいたりした。🤩

西宮自動車学校は厳しくて有名だったけど、卒業した生徒の交通事故率はとても低いと聞いた。鬼👹教官と聖母👩教官の絶妙な”飴と鞭”のバランスで俺は今の今まで車での大きな事故はしていない。

路上教習の教官と最後の卒検検定で見事!Aを貰い教官は「おめでとう!君は運転上手だよ。でも絶対に、暴走族なんかに入ったらあかんよ⁉️(笑)」と言い、握手をして別れた。今でもちょっと日焼けした手塚理美似の教官の別れ際の力強い握手を覚えている。最後まで凶漢との約束を守り、族には入らなかった。

この頃、荒井由実の3枚目のアルバム『コバルト・アワー』がリリースされた6月だった。雨降る西宮の街路樹の中を走っていた最後の帰りの送迎マイクロバス。カー・ラジオから荒井由実の”雨の街“が流れていた。雨に濡れた樹木の風景と、少し日に焼けた教官の笑顔を思い出しながら車窓から雨の街を眺めているとちょっとセンチメンタルな気持ちになった。🥺

令嬢と不良青年の恋♡みたいな…
永ちゃんらしいよく解らないトーク🌀達川かっ!😁二人とも広島出身だからね〜(笑)

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