🌞聖・少女🎙西城 秀樹 夏🌊は、秀樹🧑やし!ゴメンな!秀樹‥🥺1日遅れて…

秀樹が亡くなったのは2018年5月16日。 享年63。 6年が経つが、その人気は衰えない。 それどころかファンクラブの会員数は増加し、グッズの売り上げも伸びているという。そんな歌手いる??🤠

やっぱり、秀樹は国民に愛されてるんやね。

作詞・作曲は西城秀樹と同じ広島県出身の吉田拓郎である。トロピカルという言葉が流行した頃であり、歌詞もアレンジも海や夏の太陽を感じさせる、とても明るいナンバーとなっている。オリコンでは最高位9位(100位内14週)、17.4万枚のセールスとなった。第24回日本レコード大賞🏆では、5年連続となる金賞👑を受賞した。秀樹はこの曲を「これは広島弁の歌だなと思った」と語っている。そして、紛れもなく拓郎らしいメロディーだ。

この曲には、実に感慨を深くさせる一面がある。初めて作曲者に起用されたのが、吉田拓郎なのだ。デビューからしばらくは水と油のような二人と思われたヒデキと拓郎だが、それまでの歩みはまさに共闘と呼ぶべきものだった。67〜68年、GSブームの中、全国区となるバンドを生み出すには至らなかった広島のアマチュア音楽シーンで孤軍奮闘していたバンド、ダウン・タウンズのリーダーを務めていたのが吉田拓郎だ。ちなみにのちにモップスが歌って大ヒットした「たどりついたらいつも雨ふり」は、ダウン・タウンズの当たり曲だった「好きになったよ女の娘」を改作したものである。そんなローカル・バンド・シーンで、ダウン・タウンズのフォロワー的位置にいたベガーズというバンド。そのドラマーの座に小学5年生という若さで座ることになったのが、他ならぬ西城秀樹だった。よくダウン・タウンズの練習場所にたむろしていて、当時大学生だった拓郎たちには煙たがられたそうだ。その後、フォークの貴公子として躍進を始めつつ、時折歌謡界に色目を使う拓郎と、歌謡界の若き獅子にしてよりロックへと傾倒するヒデキの歩む道が交差することは殆どなかったが、両者を再び引き合わせたのがムッシュかまやつだったことに驚きはない。三者の間には「寺内貫太郎一家」を軸とする微妙なリンクがあったからだ。こうしてやっと、82年にコラボレーションが実現する。

80年代前半のヒデキには、20代後半という世代に釣り合った、大人のロック=AOR風味を感じさせる楽曲が増え、この曲の前後にはオフコース「眠れぬ夜」のカバーがヒットしたり、代表曲のひとつとして認知されるまでに時間を要したもんたよしのり作品「ギャランドゥ」が出たりしているのだが、この「聖・少女」もフォーク系というより、AOR路線のひとつとして捉えたい一曲である。作詞を担当した松本隆とも、意外にも初めてのコラボレーション。70年代の熱すぎるイメージから一転して、クールな視線で年下(多分)の女子を見つめる歌詞が、まさしく新境地。93年リリースされたベストアルバム『History of Hideki Saijo Vol.2』のライナーでのヒデキ自身の言葉を借りると、その歌詞と融合した途端「広島弁メロディー」を紡いでしまう拓郎マジック。これこそ80年代にいみじくも生まれてしまった、GSブームに乗り損ねた巨頭二人が紡いだ「広島GS歌謡」なのかもしれない。この曲は結局、ヒデキにとって最後のオリコン・ベスト10入りヒット曲となり、同年暮れの紅白歌合戦でも歌われた。

【著者】丸芽志悟

ありがとうございます。実に面白く読ませていただきました。🤗

夜のヒットスタジオ』が放映されてた時代は本当にいい時代だった。百恵ちゃん、秀樹、ジュリー、聖子ちゃんを毎週々、観られたんだもの。🤗

おいらが初めて秀樹を観た時、「凄い男や!(⁠ノ゚⁠0゚⁠)⁠ノ」と思ったのは、『芸能人水泳大会』の中で、プールの10mの飛び込み板から、躊躇なく飛び込んだ映像を観た時だった。俺も真似したくなって、浜甲子園の厚生年金プールで10mの飛び込み台の上に立った時、足が竦んで階段をとぼとぼと降りてきた。運動神経だけではなく、決断力!というか、思い切り!が秀樹は凄い!きっと、秀樹も10m上から飛込んだ事はなかったハズなのに、なんの躊躇いもなく頭から飛び込んだから。もう一人飛び込んだスター★がいた。にしきのあきらだった。秀樹とあきらは当時のアイドル歌手の中でも、別格の運動神経の持ち主だった。2人はスター🌟運動会では、いつもライバル同士やったね。それから俺は、秀樹のファンになった。

あの獅子のような髪型を真似したくて、18の時に、六甲道のパーマ屋に行って、「秀樹の髪型にしてください」と、オーダーしたら「あなたは、毛量少ないから、布施明みたいになるわよ」と言われて「いいです」と、了承したら、出来上がりは“白菜兄ちゃん“みたいになって愕然!༼⁠⁰⁠o⁠⁰⁠;⁠༽としたこと。😁「布施明どころか、布施博にもなってないがな🥵 やっぱ、秀樹には足元にも及ばんわ( ´Д`)=3

作詞:岡田冨美子 作曲:水谷公生 編曲:船山基紀

桑田佳祐も角松敏生もみんな秀樹のファンやしね。秀樹が生きてたらきっと、“時代遅れのRock’n’Roll Bandに入っていたハズ!桑田氏と同い年だし、秀樹は桑田氏の憧れの存在だったから。世良公則はマイクスタンド・パフォーマンスは、秀樹を真似てたし、五郎は親友だしね。🤓秀樹いたならもっと““が生まれて、さらにヒット‼️してたと思うよ!🤔

秀樹はずっと、おいらの心のスター🌠🧑なのだ。どんだけカッコええんねん!🥶

このロッカ♪♪♪バラッド…たまらんね〜(⁠っ⁠˘⁠з⁠(⁠˘⁠⌣⁠˘⁠ ⁠)
英語の発音の巧さは秀樹がシンガーとして生まれてきたギフト
日本の歌手でもしかしたら、一番多くの歌を歌ってきたのは、秀樹かも知れない🤔…
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