渋谷陽一は言わずと知れたロッキン・オンの社長である。またご存知の通り、日本最大級の夏フェスの仕掛け人でもある。音楽評論を生業とし、食えている数少ない成功者の一人だった。渋谷陽一個人についてはほぼ何も知らない。明治学院大学中退ということぐらい。


高校生のおいらががロックに興味を持った頃、渋谷氏は大貫憲章氏、伊藤政則氏と共にロック評論家三巨頭の一人として活躍!みんな名前がカッコいいんよね〜( ꈍᴗꈍ)
特に渋谷陽一氏は、レッド・ツェッペリンをこよなく愛していた。クール🆒で少しハスに構え、インテリジェンスが溢れるような文章を書き、ちょっと辛口。
他の2人が感情に訴える手法で書いていたのに対し、もっとロジカルで、理詰めの文章がカッコ良かった🤠
80年代に洋楽ヒットチャート💹に出てくるようなジャーニー、REOスピードワゴン、スティクス、スターシップなどを❝産業ロック❞と一括りにしたのは、渋谷氏だった。

首都圏なら、彼の音楽番組をテレビやラジオで聴く機会は多かっただろうけど、神戸住みのおいらは彼のアルバム評論は音楽雑誌でよく読ませていだいたた。音楽の趣味がおいらとは少し違ったけど、なるほど🤔…という、良い意味での独断と偏見の寸評は面白かった。
渋谷陽一氏の動画を探してたら、素晴らしい番組を投稿されていたのを見つけた!若き山下達郎氏との対談だ。渋谷陽一は明治学院大学経済学部。山下達郎は明治大学法学部中退。という共通点があるね。渋谷陽一1951年6月9日誕生日。山下達郎1953年2月4日誕生日で、渋谷陽一が年上なのだ。
達郎は相変わらず小難しいこと言ってるなぁ〜🤔…
でも、お互いに分かり合えてる関係なんやね。なんだかんだ言って仲いい感じやね。

このポケット・ミュージックは、1986年4月23日に発売された山下達郎通算8作目のアルバムで、おいらがディスクポート西武高槻店のマネージャーの時で、このサンプル盤をいただいて、よく売り場でオン・エアしていたのを思い出す。おいらはこのアルバムが好きだった。特にこの❝土曜日の恋人❞を聴くと、バブルの絶頂の頃の思い出が鮮やかに甦り、泣きそうになる(TT)いつも泣いてるけど…(*ノω・*)テヘ!
ずいぶん前の大阪フェスティバル・ホールの達郎のライブで聴いた時は、鳥肌もんだった!🥹達郎はこう言った「この曲は、おそらくステージでやるのは初めてかもしれない🤔…」そんな時に来れたおいらは幸せ者やん!(≧▽≦)
もう1曲このアルバムで好きだった曲がある。当時、HONDAのインテグラのCMでも流れていたね。
話が達郎に行っても〜た(*ノω・*)テヘ!
話を戻そう!渋谷陽一氏は、RCサクセションも愛してたよなぁ〜🤔…


編曲:星勝/RCサクセション
忌野清志郎と渋谷氏の交流は、勿論、雑誌編集者とその取材対象というものだと思いますが、それだけでは片付けられない、もはや盟友といってもいいような関係があったと思います。2人とも1951年生まれでタメ年。

渋谷氏は、RCサクセションの忌野清志郎の音楽をとても評価していた。好きな曲はアルバムシングル・マンに入っていた❝ヒッピーに捧ぐ❞だったと思います。
『渋谷陽一さんのご冥福を深くお祈りいたします』


渋谷陽一とオジー・オズボーンが亡くなったニュースはショックでした
今の時代、情報は直ぐに手に入るけど、10代〜20代の頃は至難の連続
雑誌ではミュージックライフやNMM、ラジオでは田中正美がDJのビートオンプラザが貴重な情報源でした
それからFENも
渋谷陽一はNHKAMで「若いこだま」という番組を持っていて、自分にとってはバイブルみたいな存在でした
まだワムが日本では全く無名でレコードも外盤しか入ってない時に、クラブ・トロピカーナをいち早く紹介
翌日にタワーレコード渋谷に行って外盤を買ったの憶えてます
先生とも言える人でしたね
残念です
やはり、音楽評論家って人は貴重な人物やったよね。ある意味、その職業に憧れを持ってた。
私もFEN(極東放送)とNME(ニューミュージックマガジン)派でした!
渋谷陽一が主宰していた「ロッキンオン」誌はガキっぽいので読まなかったが、彼がDJをしているラジオ番組は最新の洋楽が聴けるので、10代の頃は愛聴していました。当時のラジオはイントロの時にDJが喋るので、録音には適さなかったのだが、渋谷陽一のFM番組は、曲がかかっている間の喋りも、終わる前のフェイドアウトもなく、丸々一曲かけてくれるので、エアチェックにはピッタリだったのだ。
イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」も彼の番組で国内発売の数日前に聴いて、衝撃を受けた曲の一つだ。
渋谷陽一自体はレッド・ツェッペリン至上主義者で、その周辺のハードロック押しがくどく、私は辟易していたが、彼の番組ではそれ以外の洋楽もかけてくれたのが単純に嬉しかった。
音楽の嗜好は必ずしも一致しなかったが、渋谷陽一のラジオ番組がなければ聴けなかった曲も沢山あったので、彼の死には感慨深いものがあります。
彼の番組で聴いて衝撃を受けたレッド・ツェッペリンの「アキレス最後の戦い」を渋谷陽一へのレクイエムとして捧げます。
そしてもう一曲、彼が番組でよく言っていた「混乱こそ僕の墓碑銘だ」という歌詞が印象的なキングクリムゾンの名曲「エピタフ」も。
エピタフ 痺れますね
名曲です
と言うより、現代社会の現実と矛盾を予言してるような歌詞には驚かされます
渋谷陽一への感謝、追悼は色んなミュージシャンから寄せられてますね
今でもあの人の声は耳にしっかりと残ってます
FENは学校から帰ると必ずラジオ付けて聴いてましたよ
ウルフマンジャック、チャーリーツナ、ボブキングスレイ、特にこの3人のDJがお気に入りでした
夜中0時のアメリカ国家も定番でした