【久米宏さん追悼…ザ・ベストテン編】1985年4月25日(第375回)にタイム・スリップ🥏🪐しましょう‼️🤠

オープニング曲🎶作曲:服部克久

久米さんは、最高視聴率41.9%を記録した伝説の歌番組ザ・ベストテンなどで司会を担当。黒柳徹子(92)とマシンガントークを繰り広げ、お茶の間の人気を不動のものにした。

おいらはまさに久米宏世代だ。ザ・ベストテンは、ほとんどの回を観ていた。仕事柄(ディスクポート西武・WAVE)毎週目まぐるしく変わる日本の邦楽のチャート💹ランキングはマスト番組だった。

黒柳徹子久米宏の早口でも噛まない、素晴らしい番組進行と頭の回転の速さ!に驚いたものだ。🫨 とにかく番組を観ていると、そのお二人の早送りか!と思うスピーディーなトークにエキサイト🤩した。

テレビ出るのはダサい!というような風潮があり、テレビに出ないミュージシャンが割と多く、出演のオファーが🆖だった時は、「今回も出演はございません!」と久米さんが謝罪していたのを覚えている。松任谷由実中島みゆき、松山千春、矢沢永吉がそうだった。❝生放送の音楽番組❞だったから、そんなアクシデントは常につきものだった。

そして遂に‼️あの人が出た時は感動した(TT)…もちろんおいらは観た。

デビュー曲❇️が今でも一番盛り上がる⤴️⤴️🙌🙌🙌
ってのは凄いね!

こんなパワー💥のあるニュー・カマーは彼らを置いて他にはいない。
ザ・ベストテンでの9999点獲得の秀樹は凄い!👏👏

とにかく楽しい(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)音楽番組だった。久米さんの機転の利くアンカーぶりには毎回、驚かされた!✧⁠\⁠(⁠>⁠o⁠<⁠)⁠ノ⁠✧

こんな番組を毎週観るのも仕事のうち…という事で、おいらは音楽と関わる仕事をやってきて本当に良かったと思う。

明日は、【久米宏さん追悼 ニュース・ステーション編】です。

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2件のコメント

私が久米宏を知ったのは1972年のラジオ番組だった。日曜日の午前中に洋楽が聴ける音楽番組があり、久米宏はその番組のDJをしていた。番組の内容は久米宏が邦楽担当、故宮内鎮雄氏が洋楽担当でお互いにサイコロを振って、大きい数を出した方の推奨した音楽がかかる形式のベスト10番組だった。この番組の特徴はスポンサーが東芝EMIだったので、東芝の曲が優先的にかかることだった。他のベスト10番組には入っていないEAGLESの「テイク・イット・イージー」「魔女のささやき」やラズベリーズの「ゴーオール・ザ・ウェイ」「明日を生きよう」等、大好きな曲が聴けるので、毎週欠かさず「久米宏、負けろ」と思いながら愛聴していた。残念ながら、久米宏の方がサイコロが強く、EAGLESがやラズベリーズが聴きたいのに「女の道」や「涙の操」がかかるのが凄く悔しかったことを覚えている。そんな訳で軽薄な口調で本人もあまり好きそうでもない音楽をかける彼があまり好きではなかった。
しばらくして、「ぴったしカンカン」などTV番組に出るようになった時は、こんな顔をしていたんだと妙に納得した。
Saichinが欠かさず見ていた「ベスト10」の全盛期の1983年〜1985年頃は福井に転勤させられていて、福井はTBSが映らなかったので、全く久米宏の姿を見ることはなかった。しかし、都会に戻ってから「ニュースステーション」は見ており、独特の切り口で分かりやすくニュースを見せる姿勢には好感を抱いていた。少年時代の恨みはとっくに消えているので、御冥福をお祈りしております。

そんな深夜ラジオのDJやってたんや。宮内鎮雄氏は知らんけど、ちゃんと掛け合いは成立してたんかな??久米さんは、関西で言う『ひとりボケ、ひとりツッコミ』が出来る人やと思う。あれだけの早口なら、ラジオにかじりついて聴かないと何を言ってるのか付いていけなくなるよな。
「ヒャッヒャッヒャッ!」と笑ってる顔が浮かぶようや。

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