【号外‼️】今日の1曲🎶🌝Fly Me To The Moon🎙八代 亜紀八代ジャズ♬

“舟唄””雨の慕情”などの名曲でしられる歌手の八代亜紀さんが昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していたことが9日、分かった。所属事務所が公式サイトで発表した。73歳。熊本県八代(やつしろ)市出身。葬儀は8日に執り行われた。

八代さんは昨年9月12日に年内活動休止を発表した際に「応援してくださっているファンの皆様、関係者の皆様、この度はご心配、ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい。膠原病の治療に専念するため、2023年いっぱいはお仕事をお休みさせていただきます」と報告。「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね。また皆様とお会い出来る日を楽しみに頑張ります!」とつづっていた。

【スポニチ】

八代亜紀(スター🌟な、対して敬称略が礼儀)は、ジャズを歌っても凄いね!それは、彼女のような個性的な涙声だからジャズに合うんよね。ジャズ・ヴォーカルは、ビリー・ホリデイやローラ・フィジィ、ダイアナ・クラールという個性の強いヴォーカリストも多い。

オイラが高校生の時は、レコード大賞🏆に毎年八代亜紀がノミネートされていて、オイラは「また、厚化粧の八代亜紀かい!😮‍💨」と、思っていた。(どうもすみません‥m(__)m )八代亜紀は、顔の造作が派手なだけで厚化粧にみえるだけで、実は化粧はあんまりしてないらしいです。

WAVEに勤務していた時、八代亜紀の新曲♬発表のコンベンション・パーティーに行ったことがある。当時は、テイチクレコードに所属している八代亜紀さん。梅田の帝国ホテル??の広い会場でそのパーティーは行われ、それこそ京阪神の演歌好きのレコード店の中年のオジサンオーナーが挙って参加していた。参加していたレコード店のオーナーや関係者は皆年上の方達だった。オイラはまだ30代前半のの小僧👦って感じだった。

会場には高級な食事のブースが沢山用意されていて、流石!八代亜紀✨って感動した。そしてそれはそれは豪華で楽しいパーティーだった。「私が頂いた八代という名前は、私が熊本県八代市出身なので、その八代から付いたんです」と言っていたのを覚えている。本名は橋本明代さんです。終始、にこやかな表情を崩さずとても明るく優しく、温厚な人柄が見て取れる方でした。

熱狂的な八代亜紀のファンが多いトラック野郎達は、八代亜紀のペイントが施された豪華なデコトレを何度も見た事がある。

第22回のレコード大賞は、八代亜紀の”雨の慕情”に決定した。 八代亜紀は初の受賞。 この年は八代と五木ひろしの激戦で、『五八戦争』として話題となった。この受賞した八代亜紀の受賞時の歌をテレビで観ていた。”雨々ふれふれ もっとふれ♪私のいい人つれて来い♪”の彼女の泣きながらのパフォーマンスは強く記憶に残っている。八代亜紀は歌唱法は都はるみ十八番の”小節”とは違い、”ゆらぎ“の歌手だったと思います。

【八代亜紀の昔のコメント】

70年代から80年代は歌謡曲の全盛時代、ほぼ毎日ゴールデンタイムに歌の生番組があり、賞レースはお祭りのようでしたね。80年はヒット曲が多く生まれて、誰が日本レコード大賞を獲ってもおかしくない感じでしたけど、五木ひろしさんの”ふたりの夜明け”と私の”雨の慕情”のどちらかが大賞を獲りそうだと業界が煽り、〈五-八(ごっぱち)戦争〉という言葉まで生まれました。 五木さんとはまだ売れない時代に銀座のクラブで一緒に歌った“流行歌仲間”だし、戦争だなんていわれても私自身ピンとこないわけです。当時は過密スケジュールをこなすだけで精いっぱいだし、テレビ局からテレビ局への移動の車に看護師さんに乗ってもらって点滴を受けていたくらい(笑)。でも騒動が過熱する中で、「賞を獲るな」とか脅迫めいた手紙を(ほかの歌手のファンを名乗る人から)もらったこともありました。一緒に住んでいた父が心配して、私が事務所の車で仕事に出かけるときと帰ってくるときに大通りまで見送りと出迎えに来ていましたよ。 ありがたいことに結局、レコード大賞を受賞しましたが、その瞬間、日本武道館の会場で五木さんのもとへ駆け寄り、ありがとうって言いました。彼は唇を噛んで何も言わず、私もちょっと切ない気持ちに。でもいざ受賞曲を歌い始めると、会場の雰囲気が一転したんです。その年の新人賞は田原俊彦君の「ハッとして!Good」や「青い珊瑚礁」の松田聖子ちゃんなどがノミネートされ、「ハッとして……」が受賞していたんですが、会場にいたトシちゃんや聖子ちゃんのファンが「雨の慕情」を一緒に歌ってくれた。雨、雨、ふれふれというサビでは皆が手のひらを天に向ける振り付けをまねて大合唱、感動しました。 昭和のよき思い出には、藤圭子ちゃんのこともあります。圭子ちゃんは1歳下だけどデビューは2年先輩。クールに見えてあがり性で、楽屋でいつも手が冷たくなって震えているの。「アキさんどうしよう」と言うから、「大丈夫よ」と両手でよく手を温めてあげました。圭子ちゃんが引退してアメリカに渡り、その後結婚して、しばらくして日本に戻ったときに何かの番組で再会したことがあります。リハーサル時にスタジオを小さな女の子が走っていて、圭子ちゃんが「こらっ」と叱っていた。それが宇多田ヒカルちゃんでした。 あれから数十年、音楽シーンは変わりましたが、私は今もライブを年100日前後行っています。若い子から「生の『舟唄』聴かせて~」とせがまれる。昭和の歌を今の時代にも受け入れてもらうのは嬉しいですね。お酒はぬるめの燗がいい~なんて酒通っぽく歌い続けているけれど、本当は私、一滴も飲めないのよ(笑)

【週刊朝日】

今日の『徹子の部屋』は、急遽!八代亜紀の悼放送です。

八代亜紀の絵画は素晴らしい!八代亜紀さんは猫(ΦωΦ)好きなんよね。🐾彼女自体が猫っぽいルックスだしねね。(⁠◠⁠‿⁠・⁠)⁠—⁠☆

“八代亜紀さんのご冥福を深くお祈りいたします”

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