
人気TVドラマ『北の国から』『前略おふくろ様』等どでしられる脚本家の倉本聰さん(91)が18日、多臓器不全のため死去した。
数々の名作を手がけた倉本さんの訃報に北の国からの主題歌♬を担当した歌手・さだまさしは自身のインスタグラムに、倉本さんとの2ショットをアップ。「歴史に残る名作✨️北の国からの音楽を、若造の僕を信用して、ぽいっと全部任せて下さった侠気の人。大恩人でした」と思いをつづり、「最後にお目に掛かったのは北の国から放送開始45周年を祝った先月、8月9日の富良野演劇工場のステージでした。今思えば先生登場の時のこと。《暗転~照明濃度まで計算し尽くして、浮き上がるように現れ~五郎さんの『遺言』を朗読~ふわりと暗転してあっという間に舞台から去る》という、あのストイックな演出。今思えばあれが我々への格好良すぎる遺言でした」と明かした。

【倉本聰】
倉本さんは1935年生まれ、1月1日生まれ、東京都出身。東大文学部卒業後、1959年にニッポン放送に入社。ニッポン放送のディレクター・プロデューサー時代に「パパ起きて頂だい」で脚本家デビュー。63年に退社し、77年に富良野に移住。81年にフジテレビドラマ「北の国から」が大ヒットした。映画「駅 STATION」、フジテレビ「風のガーデン」、テレビ朝日「やすらぎの郷」など。主宰した「富良野塾」では後進を指導した。2000年に紫綬褒章、10年に旭日小綬章を受章した。
おいらは北の国からはTVドラマの中で最高の作品だと思っている。作品を観てるだけで、優しさとはなんなのか人はどうやって生きるべきなのか…生きるとはどういうことなのか…を教えてもらった。
ドラマ北の国からの第1話は、1981年10月9日(金)の夜10時から放送された。この頃はおいらがちょうどWAVEに入社して船橋店に赴任する1週間前だった。世の中は漫才ブームで、聖子ちゃんの❝風は秋色❞が街に流れていた仲秋の頃だ。おいらは慣れない土地に来てまだ親しい友人も出来ずに、渋谷の夜の街に飲みに行くことも出来ずに花の金曜日の夜は、このドラマを観るのが楽しみだった。
ドラマ北の国からは、圧倒的なリアリティと自然描写• 過酷な生活にある!主人公・黒板五郎(田中邦衛)が、電気も水道もないボロボロの廃屋から自給自足の生活を始める姿が描かれる。美しいだけでなく、時に命を脅かす北海道の厳冬や大自然がそのまま映し出された。 放送された21年間にわたり、純(吉岡秀隆)と螢(中嶋朋子)という子供たちが幼少期から大人になるまでを、実際の年齢とともに描き出した為、視聴者はリアルタイムの成長を見てきた。
綺麗事だけではなく、過ちや挫折、思春期の葛藤を生々しく表現している。倉本聰の脚本と名優たちの演技• 心に刺さるセリフ。人間の本質を突いたセリフやナレーションが胸を打つ。田中邦衛さん演じる五郎の不器用で深い愛情が、見る者の涙を誘った。
❝情けない男❞を主人公にしたかったと倉本氏は語る。
温厚な人柄で声を荒げる事など絶対になかった五郎さんが初めて激怒したシーン…初めて観た時は本当にビックリした(☉。☉)! 理不尽な現実に、五郎さんの親としての子供を愛するが故に出たリアルな感情の爆発💥だ!


昨日の徹子の部屋は倉本聰さんでした。もちろん過去のものですが、とても興味深いお話を倉本さんはしておられました。それが下記の事。
生前のおふくろにAmazonプライムビデオで北の国からを第1話から全てのシリーズを観せてあげた。蛍の結婚式で亡くなった草太兄ちゃんのテープの祝辞を再生していたシーンでポロポロとおふくろが涙を流していたのを。゚(゚´Д`゚)゚。今も覚えている。
とにかく感動とかそんな軽いものではなく、 圧倒され、己の小ささを知らされたドラマでもあった。畏敬の念を持って観ていた。そんな偉大すぎる作品だから絶対に観ないといけない日本のTVドラマ史上最高峰🔝のドラマなんだから…( ꈍᴗꈍ)観てない人は絶対に損している人だと思うのです。
次回のコラムはもう一つの夢中になったドラマ前略おふくろ様をご紹介します。













脚本家の倉本聰が幼少期に英字ビスケットを万引きし、父親が店の商品を全て買い取って静かに諭したという、著書『破れ星、流れた』などでも語られている有名なエピソード。
【事件の経緯】