
【白洲次郎】

兵庫県生まれ。若くしてイギリス🇬🇧に留学、ケンブリッジ🏫に学ぶ。
第二次世界大戦にあたっては、参戦当初より日本の敗戦を見抜き鶴川に移住、農業に従事する。
戦後、吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」高官にケンブリッジ仕込みの英語を褒められると、返す刀で「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になれますよ」とやりこめた。
《もっと詳しく掘り下げてみよう》
その人となりを神戸一中(現:神戸高校)の同級・今日出海は『野人』と評している。日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったが、生涯在野を貫き、いくつもの会社の経営に携わる。
180㎝近い長身に端正な顔立ち。日本語よりも英語が得意。上質なファッションに身を包み、スポーツカーを愛する男。男たちが白洲次郎氏に憧れるのは、こうした表面上のスマートさ以上に、生涯を貫いた確固たる信念と行動の強さに惹かれる。
明治35(1902)年、兵庫県芦屋の武家出身の資産家の家に生まれ、17歳でイギリスに渡り、ケンブリッジで英国紳士の嗜みと教養を身につけた次郎氏は、戦前の政財界の要人と密につながっていく。
戦後、吉田茂首相の側近として日本政府とGHQとの交渉にあたるなど国の復興と独立に全力を尽くすが、表舞台での仕事が終わると風のように野に下り、戦前に移り住んだ東京郊外の鶴川の家での暮らしに戻っていった。
晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長を務めた。「自分の信じた『原則(プリンシプル)』には忠実」で「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と正子夫人。遺言は「葬式無用、戒名不用」。まさに自分の信条(プリンシプル)を貫いた83年だった。
白洲次郎をひと言では語れものではないが、敢えて言えば、日本初の❝ダンディズム🎩❞を体現英国ケンブリッジ大学留学で身につけた教養とスタイルは、当時の日本人離れしていた。
❝日本で初めてジーンズを履いた人物❞と言われ、Tシャツ姿で公の場に現れるなど、独自の美学を貫いた。
若い頃からベントレーやブガッティなどの高級車を乗り回し、晩年までポルシェを運転する一流のドライバーでもあった。
白洲次郎の話はここまで。今日のコラムはそんな日本一カッコいい男❝白洲次郎❞の娘婿の牧山圭男氏の話をしたい。

【牧山圭男】
1938年(昭和13年)東京生まれで、2026年1月現在では87歳(88歳)です。白洲次郎・正子夫妻の長女・桂子さんと結婚し、現在は旧白洲邸『武相荘』の運営に携わっています。
1961年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、ヤナセ入社。 1965年、白洲次郎・正子夫妻の長女・桂子と結婚。

1970年、ヤナセから西武百貨店に転職、六本木WAVEやLOFTの開設に参画。 常務取締役を経て1997(平成9)年、大沢商会常務取締役に就任。
現在は町田の白洲次郎の武相荘(ぶあいそう)の館長を務めている。武相荘とは、戦後日本を支えた白洲次郎・正子夫妻が晩年を過ごした東京・町田市にある旧邸宅で、現在は記念館・資料館として公開されており、茅葺き屋根の古民家(母屋)と美しい庭園が特徴。

牧山圭男氏は、おいらが入社した㈱ディスクポート西武(後の、WAVE)時の常務だった。先日、プラチナ❇️ファミリーに白洲次郎の武相荘の館長として、出ておられたので、懐かしさのあまりコラムに書かざるを得なかったのだ。


牧山圭男氏は、おいらが入社した時は42歳でまさに男盛り✨️のいい男だった。口髭を蓄えたスマートな人だった。
おいらがリーバイ・ストラウスから、東京で仕事をしたかったので思い切って転職した。赴任先は東京ではなく、千葉の船橋店だった(何じゃそれ〰️‼️😬)10月に赴任して、ようやく慣れてきた時に、2月に辞令が出た。高槻店のオープンで大阪に戻される事がわかった。おいらは牧山常務に直訴したのだ。


おいら:「常務!私は東京で仕事が出来ると思って、思い切ってリーバイ・ストラウスを辞めて来たんです。それなのに、僅か4ヶ月で転勤ですか⁉️🥶」
牧山常務はどう言ったと思います??
ひと言こう言ったんです。
牧山常務:「女でも出来たか?」
図星だった!Oさんは、セゾングループの旅行会社『アクロス』という会社で、下の階で働いていて、船橋店No.1✨️のマドンナ💆だった。そして誘って初デートは、正月にデートしたのだ。まして彼女は着物で、社員通用口で待ち合わせしたのだ。一目惚れだった🥴その後、おいらには多くの敵を作ってしまった(*ノω・*)テヘ!
おいら:「いやぁ〜参りました!🫨図星です!(*ノω・*)テヘ!」
牧山常務「だいたい、栄転でゴネるのはそんなとこだよ」
おいら:「だから転勤はしたくないんです。まして男なら一度は東京で仕事するべきだと思っているんです」
牧山常務:「連れていけばいいじゃん!」
おいら:「いいじゃん!って🫨そんな、まだ出会ったばかりなので無理ですわ!」
牧山常務:「高槻店は関西でも旗艦店になる!売り上げが大きい店舗になる。君を船橋店に赴任させたのは、船橋店は高槻店によく似ている店舗で、船橋店も高槻店も衛生都市にある大型店舗だ。最初から君は、高槻店要員での採用だったんだよ。どうしても嫌か⁉️」
おいら:「(そんなアホな!心の声)わかりました。無茶ですけど、プロポーズしてみます!」
牧山常務:「よし!それでいい」
そして、おいらは見事にフラれた。そらそやろ!😬 ゆっくり愛🩵を育みたかったのに…
Oさん:「斎藤さん、それは無理です。一期一会ですね。」


その後も、神戸WAVEのマネージャになった時、牧山常務が店に来られ、流石と思ったエピソードがあるけれど、長くなるのでまたの機会に…
牧山常務に「お前も出世したな!(笑)」と言われた事を思い出す。、
牧山圭男さんは、男が惚れる🩵ハンサムでスマートな男だった。それは牧山圭男さんの義父が白洲次郎ゆえにスマートな生き方を継承してるように思う。
いつか『武相荘』に、行って牧山圭男さんに会ってみたいと思ってる。











白洲次郎の存在は小さな頃から知っていました。晩年の白洲次郎は大沢商会の顧問をしていたのですが、ほとんど仕事をせず大好きなゴルフ三昧だったようです。たまたま大沢商会のゴルフ部門の責任者だったのが私の父親なので、ゴルフ部に入りびたる白洲次郎とは一緒にゴルフをしたり懇意にしていたようです。なので「白洲さん」という名前は家庭でも何度か出てきていたので、父親の会社の人としてだけ認識していました。白洲次郎がそんなに凄い人だと知るのはそれから数十年後です。
白洲次郎の過去の偉業に気付く以前の1983年にディスクポート西武に入社した私が配属されたのが池袋店。本社が西武百貨店の隣にあったので、牧山常務はたびたび店に顔を出していました。末端の私はたまに会話を交わす程度でしたが、高卒同期で入ったサーファーカットでスタイルのよいセクシーギャルのM嬢のところには足繁く通っていたようです。何故かM嬢に懐かれていた私は、彼女からたびたび人気のない純邦楽コーナーに呼び出されて「牧山さんがすぐエッチなことを言ってくる。」とか「身体に触ってくるのでどうしたらいい?」とかの相談を受けていました。というわけで、私の牧山常務像は「ちょっとエッチだけどダンディな偉い人」というふうになっていました。入社半年後には福井に転勤になってしまったのでそれ以後の牧山常務とはそれ以降は疎遠です。勿論、牧山常務が白洲次郎の娘婿なんてこの時点では全く知りません。父親は私の就職の年に定年だったので、子会社に出向していましたが、牧山常務がその後大沢商会に勤務していたのはこのSaichinのコラムで初めて知りました。これは確実に白洲次郎の影響だと思います。
上記のような関係に気づいたのは、もはや21世紀になってからのことでした。晩年の父親に白洲次郎のことを聞いたら「ゴルフ好きのおじさんだった。」というようなことだけで、付き合っていた当時は彼の偉業のことはあまり知らなかったのかもしれません。白洲次郎もそんな人間の方が気楽に付き合えたのでしょう。
上記のようなことがあるので、どこか白洲次郎を身近に感じてしまいます。牧山常務の最近のご活躍は別のテレビ番組で何度か拝見しました。お元気そうで何よりです。本当にすごい人というのは普段はそれを見せないものなのですね。