今日の1曲🎶🌟まちぶせ🌟🎙荒井由実

「せっかく好意をもってくれたのに、ゴメンな…(。>ㅅ<。)💦sorry…」

さて第3戦!👫

3人目は、"Nさん"という、俺より7つ下の山手女子大学出身のMANISHな女性でした。
後で解った事だけど、妹が小学校時代の同級生だった。Σ(Ꙭ )
六甲台の下にあったセゾン・グループのカフェBAR"Old New" で会う事になった。

2戦2敗の惨状に、見合い自体に何故か反発心が芽生えていた俺は(なら見合いすな!😡)、ジーンズに長袖白シャツ…というラフなスタイルで、チョロQのような超ハイリフトTOYOTAハイラックス・シングル・キャブ・ピックアップ・トラックで行きました。

Nさんの方、は親戚のおばさんが2人も来ていました。
俺の突拍子もない現れ方で呆れかえってたと思います。
「少しもヾ(__*)ハンセイしとらんやん!」と言われても仕方がないけど、俺は見合いには向かない破天荒な男なんだし、この際!ありのままの自分を見てもらうしかない!と思ったのだ。

彼女はスーツ姿だったのにも関わらず、俺は裸足SUPERGA🇮🇹のデッキシューズを履いて行きました。
相手方の3人の仰々しさに少し嫌気を感じました。
見合いというも少し辟易していた。

おばさま達からは色々と質問されても適当に受け答えし、「そろそろよろしいでしょうか…」と、自ら早々とその場を切り上げNさんをドライブに誘った。
六甲山から摩耶、再度山を縦断し北野⛪でお茶☕をし、今はなき新神戸OPAで夕食🌃🍴を取った。

Nさんは特に問題もなく、そこそこ打ち解けてくれ、BARで酒🍸も飲み、将来の事も話さずに世間話に徹しました。
やはり結婚を前提とした交際なんて望んではいなかったからです。(コレを読んでおられる女性の方々…すみません!俺は不埒な男です)
Nさんは至って普通のお嬢さんで、俺にとって特に強く惹かれる所はありませんでした。
帰りは、青谷経由で彼女の住む鶴甲へと帰路に就いた時に彼女は言いました。
『この道、通ってくれて嬉しい🎶』と言われました。
『えっ⁉️何が??(´❛-❛`)』とは思いましたが口に出しては言いませんでした。
普通、新神戸から鶴甲に帰るなら誰でもこの道、通るやろ??ꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)笑 でも、確かにNさんの言ってることもなんとなくわかります。神戸住みのドライバーの好きな道の優先順は、国魂通り>山手幹線>2号線>43号線ですから…(私見)
神戸に住んでいてもこの道(高羽⇔新神戸)の名前知らない人多いと思う。
確か『国魂通り~野崎線』だろう…多分。

帰りの道中では、角松敏生"Mid Night Girl"を聴きながら走った。Nさんはこの曲をとても気に入っていた。

彼女の印象としては可もなく不可もなく…という印象だった。(失礼極まりないぞ!( ・᷄ὢ・᷅ ))
それでも誠実で、感じの良い女性だった。
鶴甲の彼女の実家の前でトラックを停めて、彼女と少し話をした。
彼女は、俺がそんなにも乗り気では無いことを察してたようです。

Nさん

「今日は愉しかったです!」
「また、会って頂けますか?」

と、言われた俺は少し間が空いて「ええよ」と俺は応えました。
すると彼女は

Nさん

「貴方は私の事、タイプですか?」

とズバリ!切り込んできました。


「そんな事聞くなよぉ~( ・᷄-・᷅ )心の声」

「いい方だと思います」と、応えました。

Nさん

「結婚相手としては、どう思われてますか?」

「それはまだ解らへんわぁ~」

Nさん

「そうですよね?…解りました。」

何となく気まずい空気が流れました。

Nさん

「今日はありがとうございました!ご馳走さまでした。」

「おやすみなさい…」

と言って彼女はビックアップトラックから降りていきました。
乗るのも降りるのも大変な車です。
車高が2mを軽く超えてますから、本来なら俺が先に降りて彼女に手を貸すべきなのに、そんな事も忘れていました。
彼女は🏠に入る前に軽く会釈をし家の中に入って行きました。
ここでも本来なら、顔を出してお母様に挨拶をして帰るべきなのでしょうが、それはしませんでした。

それから2日後に彼女から手紙が届きました。
丁寧なお礼状とそこにはまた、5000円の商品券が添えられていました。

「やっぱりな…」

せっかく俺に好意を持ってくれたのに、ホントにごめん‼️(>_<)

-PS-
数年前に知った事ですが、彼女は1度も結婚をせずに今もまだ鶴甲に両親と住んでいるそうです。

                【通算成績 3戦 0勝3敗】


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4件のコメント

「まちぶせ」といえば、石川ひとみ。大学時代、フジテレビの「かくし芸大会」のバイトをしている時、1日だけですが、ダンスレッスンをしている彼女の末端の小間使い役をしていました。
「まちぶせ」のヒットが出る前でしたが、眼の前で踊るレオタード姿の20歳の彼女は、まるで天使のようでした。
彼女のヒット曲「くるみ割り人形」が、自然と脳内でリピートし、至福のひと時を堪能しました。
レッスン室のバイトは私一人だったので、水を渡したり、タオルを差し出したりさせてもらいました。
睡眠時間3時間、時給200 円代のブラックバイトでしたが、今では素敵な想い出です。

それは宝物のようなバイト体験やね。
その頃、俺のバイトは、トラックの荷台に隠れてブルーシートをかけられて港に沖仲仕をしに運ばれたり、朝まで暴走族が遊びに来るガススタのバイトだったり、一般ドライバーに怒鳴られる道路工事のガードマンだったりと、ガテン系のものばかりやった。(笑)

みんな稼ぎが良さそうですね。
私もその頃、真夏に建築現場の資材運びのバイトをやりました。残業も入れて、当時としては大金の一万円をもらいましたが、体力がもたず、5日しか続けられませんでした。

まぁ、そうやろね。
俺も徹夜の国道ガードマン、3日で辞めたわ(笑)
真冬だし、寒いのなんのって…:;((•﹏•๑)));:

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