今日の1曲🎶🌟テクノポリス🌟🎹YMO

【坂本龍一さんの人生を彩った“7人の女” ビートたけしも驚いた“モテ”の秘密とは】

社会の常識はどうでもいいんじゃないと思うんだけど…」ネット「OPENERS」掲載の人生相談で、結婚についての質問に故・坂本龍一氏は、そう答えていた。世界的アーティストは輝かしいキャリアと同様、女性関係も華やかだったと、スポニチは相関図を掲載した。そのくらい広く、個性的であったのだ。

■噂になった女性は数知れず

最初の結婚は東京芸大2年のとき、2歳年上の女性とで長女をもうけたが離婚。2度目は歌手の矢野顕子(68)で再婚どうし、娘は歌手の坂本美雨であったこの再婚前に噂になった女性がいました。アーティストの大貫妙子さんでした。「ぼくは20代前半の一時期、大貫さんと暮らしていました」と坂本さんは2020年に月刊誌『新潮』で明らかにしている。しかし、その関係も長くは続かず。「別の相手ができたぼくは、その部屋を出ていってしまった。本当に酷いことをしてしまいました」と書かれていました」と某局ワイドショー芸能デスク。

その「別の相手」が矢野顕子とみられるが、再婚後もまた、新しい女性が現れてしまう。「コンサートの舞台美術を手掛けるアーティスト空里香さんで坂本さんがツアーのスタッフとして招き入れたのが始まりだったそうです。米ニューヨークで生活を共にし、映像作家となる息子に恵まれましたが、事実婚を貫いた。最期を看取ったのもこの女性です」と続けた。

坂本さんをよく知る周囲の関係者として、スポニチにはこんなコメントが…
あれだけの才能の持ち主でユニークな人柄でもあったから、当然女性にはモテた。坂本さんも女性は大好きで、毎晩のようにお酒の席に女性を呼び出していた中谷美紀や鶴田真由との噂もあった。

作詞:松本隆 作曲:Y.M.O.
“君に、胸キュン。”のディスプレイもしたなぁ〜(*^^*)

オリコン週間ランキング第1位👑(2019年4月8日付)発売前日(集計初日)の2019年3月26日付オリコンデイリーシングルチャートにおいて推定売上枚数359,528枚を記録し、初登場1位👑を記録した。YMOのシングル最大の売り上げを記録した。

構成作家のチャッピー加藤氏はこう言う。
「亡くなる直前まで創作意欲を失わず、最高のものをつくろうと一切妥協しなかった。そんな姿勢が『教授』と呼ばれた所以でした。つねに新鮮な刺激を求めていた人でもあり、自分の音楽にプラスになるなら、歌謡曲の仕事でも引き受けた。 
また『オレたちひょうきん族』にゲスト出演してお笑い芸人たちと共演するような茶目っ気もありました。モテたのも当然でしょう」

音楽を探求する真摯な姿と、シャイなのに冗談を言って笑っている姿とのギャップ…降り幅が大きい教授は、とにかくモテた!(⁠ノ⁠◕⁠ヮ⁠◕⁠)⁠ノ⁠*⁠.⁠✧

振り切ってるし(笑)

娘さんの坂本美雨

ネットの『コトバのチカラ.JP』には坂本龍一の名言として、以下のようなコメントを掲載している。
「僕のなかでは『モテる』とか、もっと言うと『金がほしい』ということと音楽が結びついていなかった」
「人間には触ることのできるものを持っておきたい欲望がある」
「自分の思い通りに生きたかどうかが大事」

坂本龍一氏の人生は十二分に彩られていましたね。

「正直な人だなぁ〜(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)」

教授がプライベイトな問題についてここまで、告白する義務は全くないにもかかわらず、番組側も要求してないようなことまで、どんどん喋っちゃうところが驚きだし、ここまで淡々と包み隠さず告白され、古舘伊知郎は呆然としていた。(笑)『問わず語り』とはこの事だ。
教授は明らかに決意していたのだろう。古館がつっこもうが、つっこむまいが、今日はすべてハッキリさせて今の自分を全てさらけだそう!と…
なんのためかといえば、大きな仕事(創作オペラ)が控えているというのが、大きな理由のひとつだろう。
裸にならないと真実性のある表現はできない。無駄に着ているものを脱いでしまわないと…
『平和や癒し』ということをテーマにしたオペラを作曲する音楽家が、自分について『ごまかし』をやっていたら、まやかしの表現しかできない。教授にはもう『虚栄の世界』のステイタスなんて必要ないのだ。
心に引っ掛かってる事を全てさらけ出し、真っ白になってから次の大仕事に向かいたい!という純粋な覚悟が男らしい。
教授は『自分の棚卸し』して、ゼロから始めたかったのだろうと推測出来る。

坂本龍一の訃報でYMOの”ライディーン”を流すNHKとその他テレビ局。
ご本人達の名誉のために言わせてもらうと『ライディーン』高橋幸宏の曲。
坂本龍一の代表曲は『テクノポリス』だ。
それ程までに、YMOに関して無知ぶりに呆れ返って開いた口が塞がらない!(⁠⑉⁠⊙⁠ȏ⁠⊙⁠)

いいとも!やってたときは何か平和やったね〜教授34歳

教授の、このいいとも出演時の、”Gジャンステンカラーコート“のラフな、ワイルド・シックな着こなしが好きだった。良いスタイリストが付いてたんやろね。まっ、オイラもこのコーデしてたけどね〜( ̄ー ̄)ニヤリ

ワイルド・シック

80年代中期に一部で紹介(MEN’S CLUB)された、スーツにマウンテンパーカーを羽織ったり、Gジャンの上にツィード・JKTを着たり、スーツを着てレッド・ウィングを履いたりする、トラッドとアウトドア・ブランドとの融合ファッション。

ステンカラーコートENRICO COVERI

Gジャン:Levi’s XX

⬆あっ!コレ、オイラのコーディネートね。😁このコーベリのコットン・ステンカラー・コートは、Bobby氏に売っちゃたよね?まだ持ってたら買い戻したい(⁠☆⁠▽⁠☆⁠)

フォーマルな幸宏も教授もお洒落やね〜

高橋幸宏とは最初に出会ったときに、あまりのスタイリッシュさに「ロック・ミュージシャンがこんなにお洒落でいいのか」と驚愕したそうだが、ソロ・デビューの際にファッションのコーディネートをしてもらうことになり、それまでの長髪とサンダル姿というむさ苦しい格好から生まれ変わることになった。
高橋幸宏のファッションセンスに大きな影響を受け……
「そうか、こういう世界もあるんだ」と、高価でおしゃれな服を着ました。これも楽しくてファッションのことも勉強し、それからいまに至っています。これもぼくの人生の転機になった出来事でしょう>(2016年。アルバム『千のナイフ』リマスター版ライナーノート用インタビュー)

坂本氏が愛用している眼鏡は、2008年創業🇫🇷のアイウェアブランド『ジャックデュラン』のもの。
スパイク・リーなど、海外セレブも御用達の人気ブランドです。

「僕はドビュッシーの生まれ変わりと」真剣に思い込んでた教授。MADE IN🇫🇷のものが好きだったようで、パリコレで活躍したKENZOのスーツやジャケットを好んで着ていた。🇫🇷スニーカーブランドSpring Coatを履いていたのか?と思えば、スニーカーはNBだった。

何を着ても似合っていた教授。自分には「ラテンの血が混ざってる」と言っていたが、それは単なる『女性好き』の言い訳に過ぎなかったのか…😁

HASとは、ヒューマン・オーディオ・スボンジ略で、 イエロー・マジック・オーケストラのメンバーである高橋幸宏・細野晴臣の『スケッチ・ショウ』に、「僕も入れてよ」と言って参加した坂本龍一の3人による音楽ユニットとしての名義である。
戦メリから40年が経った。大島監督、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一…残ったのは北野たけしだけになってしまった。

2件のコメント

そんなことありましたね。忘れてました・・・
そのステンカラーコートは袖の丈詰めに失敗して、左右チンバになったので、どこかにいってしまいました。
私としては、ステンカラーコートといえば「カフェ・ブリュ」のポール・ウェラーだったので、着れなくなったのは、残念で仕方ありませんでした。

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