12月17日 速報元関脇寺尾・福薗好文さん死去 39歳まで現役「土俵の鉄人」 激しい突っ張りで女性ファンからも人気
『鉄人』と呼ばれ、闘志あふれる取り口でファンも多かった大相撲の元関脇・寺尾の錣山親方(本名・福薗好文=ふくぞの・よしふみ)が東京都内の病院で死去したことが17日、分かった。60歳だった。
錣山親方は「もろ差しの名人」と言われた元関脇・鶴ケ嶺の三男として生まれ、父が師匠の井筒部屋に入門。79年名古屋場所で初土俵を踏んだ。長男・鶴嶺山(元十両)、次男・逆鉾(元関脇・先代井筒親方)とともに3兄弟として土俵を沸かせた。
117キロと細身ながら激しい突っ張りと俊敏な動きを武器に活躍。金星🌟は7個獲得し、1989年春場所には兄逆鉾と同時関脇を果たした。また、甘いマスクで女性ファンからの人気も高かった。
最高位⬆は関脇で殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞は1回受賞受賞した。幕内在位は歴代6位の93場所。幕内通算勝利は歴代10位の860勝。初土俵からの連続出場は歴代7位の1359回。幕内連続出場も歴代4位の1063回。
通算出場は大潮、旭天鵬、安美錦に次ぐ歴代4位の1795回。39歳まで現役を続け「土俵の鉄人」と呼ばれた。
【スポーツニッポン】
オイラは37歳の時に、グァムに旅行に行った。当時、大人気のPIC(パシフィック・アイランド・クラブ)ホテルに泊まった。
オイラは当時の彼女(後の妻)と共に、夜にレストラン🍴に行った。すると、四人掛けのテーブルに身体のやたらとデカい力士が二人と女性二人が入口の近くに鎮座していた。こちらに背を向けている力士の着ている着物の背中には”寺尾“とデカデカと書かれていた。オイラは、相撲ファンで当時の横綱、千代の富士の大ファンだった、そして関脇の寺尾も。オイラは興奮して、寺尾のテーブルに行って握手を求めようとした。すると、ポリネシア人のギャルソンに止められた。✋
給仕 “He’s here on a private basis, so please don’t talk to him.”
俺 “Why┐(´ー`)┌ ⁉️”He’s making a big show of himself as Terao, right⁉️But what’s wrong with it?”(何で!?背中に大きく寺尾って書いてるやん!😧それでもあかんの⁉️)
給仕 “Sorry!🥴”
仕方ないのでオイラは喋りかけるの諦めた。まっそうやろな…女連れやし🤔…友達も同部屋の後輩力士だろう。それにしても力士が女性を連れているのは珍しい光景だ。さすがはイケメン力士!美人の女性を連れていた。
寺尾関とは、何かと縁があった。大阪場所の時にも新幹線の新大阪駅で出会った事もあった。寺尾のお父さんの鶴ヶ峰の、ミナミにあった『ちゃんこ料亭』にも高校の時に行った事もある。連れのピーナッツパパの招待で、大阪場所を枡席で観覧した後に連れていってもらった。(ピーナッツパパのパパは、堺筋本町の繊維会社の社長さんでとてもリッチ✨だった)その時、初めて車海老🦐の踊りを食べた。オイラは刺し身が苦手で、仲居さんに「刺し身焼いてくれませんか?」と、言って、ピーナッツパパに「恥ずかしいわ!(。>﹏<。)」と、怒られた事がある。(*ノω・*)テヘ!
それにしても、まだ17歳の高校生の身で、相撲の枡席で酒🍶を飲みながらの相撲の観戦‥って、大人過ぎひん⁉️まして、ビーナッツパパは、松蔭の彼女連れてきてたし…👫
関脇高見山がまだ現役の時で、とてつもなくデカかった!(⑉⊙ȏ⊙)「2ば〜い!2ば〜い!」古っ!(>0<;)立会いのときのぶつかる音💥がやたら大きくて驚いた!😦
そんな何かと、縁のあった力士寺尾。力士は長生きしない…と言われるけど60歳は若すぎる…(TT)寺尾は不整脈が原因だった。
“井筒3兄弟”早すぎる死…長男の鶴嶺山も60歳、次男の逆鉾も58歳で天に…
『寺尾さんのご逝去の報に接し、心から哀悼の意を捧げます』
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